Blog

『海のOh, Yeah!!』リリース記念「サザンで仏教入門M1. TSUNAMI」

SRCAの運営で筆が止まっておりましたが、
宮治淳一氏より「寺内タケシとブルー・ジーンズ」の未CD化LP『禅定』の存在を教わり、
なぜ寺内タケシは音楽を演っているかと言うと
「ギターで野球はできないだろ?」という「ギターでは音楽しかできない」という
目からうろこの禅問答の生き様、まさに人生は修行であるということを再認識し、
またしてもこのような余計な記事を書くわけであります。「動くな!!」

さて発表されましたサザン20年ぶりの企画物ベスト・アルバム『海のYeah!!』の続編、
『海のOh, Yeah!!』(生みの親?)のリリースを記念しまして1998年以降のSAS曲、
しかもアルバム収録順で続きをいってみたいと思います。

「TSUNAMI」(ツナミ)は、サザンオールスターズの44枚目のシングル。2000年1月26日発売。

B1 人は誰も愛求めて 闇に彷徨う運命
A2 終わり目覚める時深い闇に夜明けが来る

わたしたち人間は、闇を彷徨っている運命、というのがこの曲の一番です。
実は仏教でもまったく同じことを言います、これを「無明(むみょう)」と呼びます。

わたしたちは真っ暗闇で右往左往、迷子になっているのです。
だから悩み、苦しみもがき、終わりの見えない迷路で心が落ち着かないのです。

その原因はなにかと言いますとズバリ「煩悩」です。
煩悩という雲に覆われて、光が届いてないのです。
だから光が届いて、自分の歩むべき道が見え、ゴールがわかるように
仏教では煩悩を取り除いていこうとするんですね。

ここで言う「光」とは仏さまの力(専門用語では「はたらき」や「智慧」と言います)を
さしていますが、雨の日も太陽は常に変わりなく地球を照らしているように、
仏さまは常に実はわたしたちを照らしてくれているんです。
それをわたしたちは「自分の煩悩によって遮ってしまっている」。
哲学用語で「無知の知」なんて言葉がありますが、
まずは「自分の煩悩によって仏さまのはたらきが遮られているんだ」という
ことに気がつくことから仏教はスタートします。

そしてTSUNAMIではAメロ2番で「目覚めます」。
これが仏教でいうところの「覚り」に該当するのではないか。
あえて「悟り」という漢字は使わず、わたしは「覚り」といつも書きます。
「さとり」を英語にするといくつか訳語があるんですが、
わたしは「awakening」という単語が好きです。

「awakening」は「目覚め、覚醒、自覚」という意味ですね。
要するにいままでまったく気が付かなかったことに目覚めるんです。
そういった宗教的体験、自分の行き方が180度変わるような体験を
「覚り」というのではないかと、現在は思っています。

そのまま歌詞では「深い闇に夜明けが来る」わけですから、
煩悩による闇(無明)が晴れて、自分の世界が明るく見えるんですね。

浄土教では自分の力ではそれが出来ない(煩悩のせいで煩悩がなくならない)と
考えていきますので、他力(阿弥陀如来のはたらき)で気が付いていくと説きます。

晴れるんですよ、わたしの世界が。
でもそれはわたし自身が照らしているわけじゃない。
親鸞はこれを阿弥陀如来の「智慧の光明」という風に呼んで、
それを頂いていこうじゃないか!と勧めるのです。

この「智慧の光明」はとてつもない強力な光で、
わたしたちの煩悩の雲なんかまったく影響がなく至り届きます。

そうだからTSUNAMIでは最後に
思い出はいつの日も…雨」なわけです。
わたしたちの人生は結局煩悩の雲が晴れること無く、
雨がずっと降っている、振り続けているんです。
でもそれは真っ暗闇ではわからないですよね?

「智慧の光明」に照らされたいま、
「あ、なんだお天気雨か!」と雨が振りながらも
晴れ晴れしく自分のこれまでを振り返ることが出来るんです。

「苦しいんだけどさ、いい思い出だ」
これが煩悩はあるんだけども、光に照らされ目覚めた、
そういった生き方を示していると言えます。

Junsho
※本連載はサザンオールスターズ乃至、桑田佳祐氏の楽曲の歌詞で
仏教学の入門書が書けるのではないか?という思いつきの
勝手気ままな試論である。本人とは無関係であることをご了承頂きたい。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です